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October 26, 2026
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アメリカの選挙広告の謎に迫る:映画『華氏911』の論争から始まった地殻変動
アメリカに少しでも住んだことのある方なら、選挙シーズンが近づくたびにテレビを埋め尽くす「選挙CMの嵐」をご存知かもしれません。今年の中間選挙の過熱ぶりは、まさにその象徴です。例えば、テキサス大学のフットボールやNFLのダラス・カウボーイズ戦といった注目のスポーツ中継。その合間に、テキサス州の候補者を激しく攻撃するネガティブキャンペーンCMが、全く関係のない別の州のテレビにまで大量に流されるといった有様です。
なぜ、候補者本人ではない様々な団体が、これほど自由に巨額の資金を使って政治広告を出せるようになったのでしょうか?
その引き金となったのが、アメリカ選挙広告のルールを根本から一変させた、2010年の最高裁判例「シチズンズ・ユナイテッド対FEC(Citizens United v. FEC)」です。
その歴史的判決の背景をたどると、日本でも公開された2004年のマイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画「華氏911(Fahrenheit 9/11)」のテレビ広告をめぐる論争に行き着きます。 今回は通常の米国議会・政策の動向から少し離れますが、中間選挙直前の今週は、趣向を変えて、アメリカでこのような選挙広告が許されるようになった経緯について解説します。
始まりは映画「華氏911(Fahrenheit 9/11)」のテレビ広告
2004年、ドキュメンタリー映画「華氏911」がアメリカで公開されました。この年は、ブッシュ大統領の2期目をかけた選挙が行われる年でした。映画はブッシュ政権を激しく批判する内容で物議を醸しましたが、特に法的問題となったのが映画を宣伝するためのテレビ広告でした。
アメリカの保守系非営利団体であるシチズンズ・ユナイテッド(Citizens United)は、このテレビ広告が2002年に成立した選挙運動資金改革法(Bipartisan Campaign Reform Act of 2002 (BCRA))に違反するとして連邦選挙委員会(Federal Election Commission(FEC))に苦情を申し立てたのです。
BCRAには、予備選挙の前30日間および本選挙の前60日間に、企業や労働組合が資金を出して連邦選挙の候補者を明確に特定する一定の放送広告「選挙運動用通信(electioneering communication)」を行うことを規制する条項がありました。シチズンズ・ユナイテッドは、映画の広告には、ブッシュ大統領の映像や発言の抜粋が含まれているので、この条項に違反すると主張しましたが、連邦選挙委員会は、この申立てを満場一致で却下しました。
その後、シチズンズ・ユナイテッドは2008年の大統領選挙に向けて、ヒラリー・クリントン氏を痛烈に批判する映画「Hillary: The Movie」を制作し、映画館で公開し、DVDでも提供しました。当時、ヒラリー氏は民主党の大統領候補者指名をバラク・オバマ氏と競っていました。シチズンズ・ユナイテッドは、2008年の予備選挙前30日以内に、映画をビデオ・オン・デマンドで配信しようと計画していました。しかし、映画本編と広告が企業資金による独立支出の禁止規定に抵触し、民事・刑事上の制裁を受けることを懸念しました。そこで、FECを相手取り、同規定やBCRAの免責表示・情報開示要件をビデオ・オン・デマンドと広告に適用することは違憲であるとして、確認判決と差止命令を求める訴訟を提起しました。これが、冒頭でご紹介した歴史的最高裁判決を導くことになります。
最高裁は最終的に、企業や労働組合が、候補者から独立して行う政治的支出を禁止することは、憲法修正第1条が保障する言論の自由に反すると判断しました。これにより、企業や団体は、自らの一般財源を使って政治的な広告やその他の独立した政治的表現を行うことが、従来より広く認められることになりました(*ただし、この判決は、企業や労働組合から候補者への直接献金を自由化したものではありません)。この判決は、同年の SpeechNow.org v. FEC 判決などと相まって、Super PACの台頭と政治広告市場の拡大を後押ししました。
一方、最高裁は、BCRA第311条が定める免責表示の要件については、広告の内容に責任を負う主体を明示するものであり、政治的表現そのものを禁止するものではないとして、合憲と判断しました。また、第201条に基づく一定の情報開示要件についても、合憲と判断しました。
「テレビ・新聞」から「ソーシャルメディア」へ:最高裁の先見性
BCRAが規制対象としていたのは、主に「テレビ、ラジオ、有線放送、衛星放送」といった従来の放送メディアでした。最高裁は、「技術の急速な変化、そして表現の自由という概念に本質的に備わっている創造的な力学を考慮すれば、特定のメディアにおける、あるいは特定の発言主体による政治的言論を制限する法律を支持することには慎重であるべきである」と述べました。その理由として、「近い将来、ブログやソーシャル・ネットワーキング・ウェブサイトなどのインターネット上の情報源が、政治候補者や政治的争点に関する重要な情報を市民に提供するようになるかもしれない」が、この条項によれば、「企業資金によって作成されたブログであれば、特定の候補者の当選または落選を明示的に支持するブログ記事を禁止することになるように思われる」と述べています。
BCRAには、企業や労働組合による一定の政治的支出を規制する一方で、「報道機関(メディア企業)」によるニュース報道、論評、社説などの配信は規制から除外するという「メディア免除」の規定がありました。これについても、インターネットの登場と、新聞などの印刷メディアや放送メディアの衰退に伴い、メディアとそれ以外の者の境界線があいまいになっていることや、メディアを所有する企業と、それ以外の企業との間に著しい不公平が生じる可能性も指摘しています。
確かに、この判決については、企業や団体の政治的支出を通じて、資金力のある主体が政治的言論に大きな影響力を持つことを懸念する批判があります。
ただ、今改めて判決を読み直してみると、最高裁の判断は、時代の先を見越していたようにも思えます。現在では、YouTubeやTikTokなどの動画プラットフォーム、Podcastなどを通じて、選挙候補者や政治的争点に関する情報が広く発信されています。こうした情報発信には、個人だけでなく、企業や非営利団体などの法人が関わるものもあります。法人だというだけで政治的表現の自由を制限した場合に、現代のデジタル空間における言論は必要以上に萎縮してしまう危険があります。また、伝統的なメディアに匹敵する影響力を持つ情報発信が可能になったことで、メディアとそれ以外の主体の境界線はますます曖昧になっています。そのため、メディアの免除条項によって問題を解決できるのか疑問が残ります。
このような現状を踏まえると、仮に企業や労働組合による独立した政治的支出の禁止が合憲とされていた場合、時の政権がその規制権限を恣意的に運用し、自らに不都合な政治的言論を抑制する危険性があったかもしれません。
テレビを埋め尽くす過激な選挙CMには、確かにうんざりさせられることもあります。しかし、こうした政治広告がなぜ認められているのか、その背景にある憲法上の考え方を理解すると、アメリカの政治と表現の自由について、また違った視点が得られるのではないでしょうか。

